昭和48年5月28日 朝の御理解



 御理解第65節「日柄方位は見るにおよばぬ。普請作事は、使い勝手のよいのが、よい家相じゃ。よい日柄というは、空に雲のない、ほんぞらぬくい、自分に都合のよい日が、よい日柄じゃ。いかに暦を見て天赦日じゃと言うても、雨風が強うては、今日は不祥のお天気じゃと言うではないか。日のお照らしなさる日に良い悪いはないと思え。」

 私はあの、お話しを聞くでも、ものを読むでも、その心というものがあるね、心というものがある、いわゆるまあ大意と言うかね、え~、小学校の時に、とく本を、を、読み方ね、を、あの、(?)まず、あの大意を、を分かれ、そして次には分断という風に、昔は教えられました、区切って、その区切ったところの、内容を分かれ、また全体としては、どういう、たいっ、大意を、まずつかまねばならん、という風に、ね、だから、あぁ、枝葉のところをつかむのでなく、その、大意をやはり頂く、私はこの65節は、先日も頂きましたが、え~、このなら65節の心というのはどういうことかと言うと、おぉ、教祖様の御生きられ方、を、そのまま、65節の、まあ日柄方位とか、あぁ、えぇ、よい家相じゃとかというような、家相とか日柄とかといったような、あぁ、ことによせて、えぇ、仰っておられ、御理解下さってあるという風に思うのです、ね、ですからもう教祖様の場合は、例えて言うとなら、雨風があっても、ね、その雨風を有り難いと頂いておるでしょうし、やはり教祖様らへんが、もうよい家相も、おぉ言うなら、日柄も方位もなかっただろうと思う、ね、普通では使い勝手のよいのがよい家相じゃと仰るけども、教祖の場合は、例え使い勝手がよかっても、その時点でそれを最高のものとして頂いておられたに違いはない、ね、例えば降っても有り難い照っても有り難いという境地を開いておられたんだろうと思う、だから教祖の生きられ方というようなことがよく言われますけども、そういう頂き方、そういう、受け方、いわゆる教祖の、おぉ~、生きられ方、がその心になっておると思うですこの御理解は、例えば日柄とか方位とか、家相とかといったようなことじゃない、もう全てがそうです、いわゆる一切を有り難う受けておられた、そこに不平もなからなければ不足もない、その時点時点で。
 先日あの、研修会の時に、文男先生が言うておりましたように、例えば、あぁ、私のことを言ってるんです、「親先生が人と違われるところは、ああいう様々な難儀な中を通ってこられたけれども、いつもその時点時点で一番有り難いと、風に受けておられることだ」と言っておりますね、また事実そうです、ね、ね、そういう例えば、えぇ、信心の姿勢というものが、まあなるほど、おぉ、私の、えぇ、引き揚げて帰って此方のですね、ね、そして人が助かるようになってから、もですけれども、それ、前の、様々な難儀が、重なり重なっておるといったような時代にあってもです、ならその時点で、そこんところ例えば降ろうが吹こうが、あぁ、照ろうがね、あの有り難く受けておったということです、それをやはり、あの昔から修行をしております文男先生どんが場合は、それを感じとってるわけです、ね、私達の場合は、まちっとマシな生活がしたいとかと、まちっとおかげを頂きたいとかといったようなものを、がいつもある、それはいかにも頂いておるそのおかげというものの、おぉ、に対するもう不平である不足である、そうでしょ、ね、まちっとマシなおかげば頂かなんならん、と言う前に、今頂いておる、そっ、頂いておるその事をです、おかげ頂かにゃん、ね、そこで私は、あの4・5っ、何日か前でした、ね、ん~、初めのことを忘れなければ結構であるという、あの、教祖様のお言葉がりますがね、信心は一番初めのおかげを受けた時分の事を思えば結構であるとこう仰っておられる、それで私今日もでしたけれども、あの、今日御神前に出てから、一番は始めに思うたことは、まぁだ私が長浜町、福岡におります頃に、ん~、長女と今の若先生が、あぁと愛子とまた三人でしたが、あの、家内が豊美に、十円のあの、キャンデーを、を、五円のつを、まああぁ買ってこいと言ったらしいんです、それで十円を持たしたもんですから、自分は、その、十円やったから十円のを渡された、それを二人で分けんならんとに、どうして五円のつを買うてこなかったかと言うて、豊美を怒っておった時に丁度私が帰り合わせた、そん時にもう本当に、まあ何と言う、うぅ、事だろうかとこう思いました、ね、いやそれこそ、五円の金でも割って使うという時代、子供に例えばおやつのこっ、おやつでも買うてやるなんていうことは、まずなかったけれども、皆が近所の子供達が買ってるから、がと豊美が欲しいと言ったんでしょう、そん時に「なら五円のつを一本買うてこんの、勝彦ちゃんと半分それを分けてやるけんで」と言うてかいっ、買いにやったんだけれども、五円がなかったから、十円を持たした、ところが十円のキャンデーを買うてくるとだから、「もうあんたばっかりは」と言うて、怒りよるところへ帰って来た、本当にあんな時代があったなぁと思うたらもう、今おかげを受けておることのそのあまりにも、素晴らしいので、もう本当に御神前で今日は涙に暮れました、その事を思いましたら、新たに、ね、そういうおかげを受けておる、その、ということがです、いわゆる、始めのことを思わせて頂いたら、あんな時代もあった、あんなおかげを頂いた、なっ、今、その時分の事から今ひっかえて、この、思うてみると、広大なおかげを頂いておる、ね、その事を思い出しただけでも、心が滾ってくる、有り難さで、ね、その心で、なら今日一日、あの、今日の一時からの御祈念は出けたわけ、ね、だからその有り難いことをやはり心の中に、そういうものを感じて、だからその時点で、その事は有り難いと思えれるということ、だからその有り難く思えれる工夫をしなければです、例えばここには文字、はっきりこのように教えてあってもです、日柄を言うたり方角を言うたり、家を建てるとやっぱ家相ば見らっ、見らんなんといったような、信心しておってはっきり教えてあることですらを、それを右左にしたんでは、教祖の生きられ方を行じておるということにならないのです、ね、だから、その、ならこの65節の、その心というのはです、ね、本当は日柄方位のことだけじゃない、一切が、ね、さしっ、もういつもが、全てが良いことだ、全てが有り難いことだ、全てがお礼を申し上げる対象ばっかりだという風に、教祖は言ってこられた、ね、だからもうそれだけだから簡単なごとあるですけれども、そんなら、そういう生き方を身に付けるということが、信心の稽古であります、ね、だから今までの観念といったようなものがありますから、いや、観念の邪魔がすっ、出てくる、ね、だからまあだから、信心するとまず観念を捨てなければいけない、人間の浅はかな知恵とかちっ、力といったようなものは、一遍空しゅうしてしまわなければいけない、もう本当にあの、神様のね、そういう働き、そういうおかげを、間違いなくここでは皆さんに見てもらったり聞いてもらったりしておるのですから、ね、もうそういう一つの手本を、目の前において、自分達の違っておるところを訂正直していくというような生き方にならにゃいけん。
 え~昨日、午後の奉仕の時でした、あの、福岡の秋永先生が、あぁ近所までお商売で来たからと言うて、お礼参拝をしてきました、そん時に私、え~、話したことですけども、先日から今月の、来月のおかげの泉の原稿が、来ておる、それを見せて頂いておったら、「天の配剤」ということがあった、書いてあった、御理解の中にありましたね、天の配剤、だから天の配剤というのを、ありっ、天の配は、勿論配りですけれども、配る在るとこう書いてある、ところがそれをあの検討していかれる内に、高橋さんがもう一遍字引を引いて、確かめてみろうとこう思うたところが、その、おぉ~、なく剤しの剤であった、ね、剤という字なんです、天の配剤というのは、神様が一様にこう配るということ、ね、おかげは一様にやってあるという、そのことなんだ、はっ、天の配剤、そん時に私が、私あの、ああそうですか、そんなら、思い込んどったけれど、と言うて、また(?)よったら、あの★「地の杯在」ということを頂いた、天の配剤、地の杯在。
 地の杯在というのは、はいという字は杯と、ね、(?)書いてから(?)、杯という、はいという字、ね、ご返杯なら杯、杯、剤という字は、皆が使っておった在りという字である、ね、例えば天の配剤で、ですけれどもです、私共が信心さして頂いて、有り難き勿体無きの受け物がまず出来ればです、杯が出来ればです、ね、それにおかげが下さるという、意味だろうと思いました、天の配剤、地の杯在ということを頂いた、もうそのことをです、話さして頂いて、そういう神様の間違いない、その配剤の中に、苦い事もあれば甘い事もあるんだと、その事の一分一厘間違いのない事は秋永先生、ちょっとあの、見てご覧んと言うて私は見せました、丁度そん時に、あの教祖様の、歌集ですね、あの土という、ん、あの歌集の、あの今第っ、あの最終目を、また、あ~、何度目かお読ませて頂いてるんです、そしてあの、おぉ、色々私、書きっ、その、お~、書き止めさせて頂いておる、丁度私が、秋永先生が来た時に読みよったところがです、あの、三代金光様のいわゆる奥様、今の教主様にすればお母様が、お亡くなりになった時の、詩が、あの礼作になって沢山作っておられます、それを私は、あの控えようと思うて、この控えさせて頂いておるのを見てもらった、えぇ、他所から頂いておる御神米が、の袋を私は全部とっとって、それにこう書くわけなんです、ところが私はこれに書く時に、はっと思うたんです、というのはあの、これは、金光教芸備教会の御神米の入っとった袋なんです、今度学院生が帰ってまいりました時に、芸備にお礼に出て、御神米頂いて帰ってきた、それをここへ全部お供えしてるわけですから、その袋が丁度これに書くことになった、で金光様の奥様と言うのは、芸備教会、からおい出られてるんです、もう本当に間違いはないなぁと言うて、秋永先生にね、これが何枚もあるわけじゃないけども、丁度、あぁ、教主様がお母様のお国替えになられた時のことを書いておられる詩を、丁度芸備教会のこの御神米用紙に書くように、丁度天の配剤なんです、このように間違いがない、なと言うて、まあ話しことです、ね、その例えば詩を読んでみますとね、「この我を父のごとくに送り迎えしまし、神のみ姿、あらっ、母のみ姿あらず」とあります、三代様が亡くなられてから、教主様が毎日ご出勤なる、ご奉仕に出られる、そん時に、いわゆる、三代金光様をお送りをなさったり、またはあのお迎えなさった時と同じに、子供の自分を、送り迎えしてくれた母という意味のことが、を詩にしておられるわけですね、次はね、「かねてより、母の、おぉ~、に、思いそのままに、命を、命尊く、終えさせたまう」という、かねてよいのはお母様の、思い、願いであったそのままに、丁度金光様が亡くなられて1年目に亡くなられた、それも、本当に四・五日前まで、えぇ弟様の、おぉ霊祭などを、あの、仕えられて、その後のことであったというようなことをまた次の詩にきてますけれどね、これはまああの、そのを、私書かせて頂こうと思う、丁度、こう沢山こう積んでおる、御神米用紙のです、丁度芸備教会のに、この二つの詩を書かせて頂いた、それから先生帰らせて頂いてから、久富先生が、「先生今日は、こんなお夢を頂いた」と言うて、その、お夢を、を、のお届にきた、そん時に私また2・3ページ、めくって、また丁度、を、書いておるところを、が、だったから、ん~、今私がこの書いた、この答えはこの事だよと言うて話した、大きな岩がある、大きな、あの海岸の、も藻やらがいっぱいついておる、貝殻がこうついておる、そこから海老が出て来る、で、まあ色んな、そういう風なお夢でした、岩というは私だろう、言うならば、私、私に付いている、藻が付いておるように、ね、まあ言うならば何と言うでしょうかね、う~ん、宿木というのがありましょうが、ね、木に宿木が付いておるように、ならここで修行しておる人達は、付いておるようなもんです、ね、けれどもその、海老は、どんどんその出て行きよる、海老ということは修行ということですから、ね、そういう中にあって修行さして頂いておるのであるから、修行を、を、まあ、実意丁寧な、修行せにゃきゃならないぞということがです、あの、こういう詩になっておる、を書いておるところへ、その、こっ、どっと言うてこれを私が書いてやった、「大切にするは粗末にせぬことと、言い聞かせおり、我自らに」とあります、ね、大切にするということはです、ね、粗末にしないことだと、ご自分自身に言い聞かしておられるわけです、皆さんもご承知のように、もうそれこそ、もう、人の真似ん出来んくらいな、一生懸命の修行をいたします、けれども時々その、もう末永先生にも無いような、他所から見てから、「あげなこつで良かじゃろか」っち言うてその、いつかこういった、修行の人が言ったというに、もう実意をもうカラッと捨ててしまったようなことを、時々したり言うたりすることがある、だから、ね、大切にするということは、そういう事を粗末にしないことだぞと、いう風にですね、書いてやりました、そのお詩の心はこうだと、いやお詩じゃない、お夢の心は、あぁこのことが答えだと、いうようにです、もうその、何と言うですか、一部一厘の間違いの無い天の配剤の中に、そういう、とっ、とりわけこの御結界を中心としての働きというものは、そういう働きをお互いが受けておるのだと、そういう働きを受けておる、私共なのですから、教祖様が教えて下さる、なら御理解を、本当に身を、例えばならこの65節で言うならばです、日柄方位、家相、そういうことではなくてです、ね、もう全てがいつもが良い日だぞと、いつも何もがかにもが有り難いのだという、頂き方こそが、教祖様の生きられ方だから、そう頂いて行けばいいのですけれども、それが私共にとってはなかなか難しい、わざわざこうやって、教えておられることにですら、私共は日柄を言うたり、方位を言うたりするような、皆さんの場合はないでしょうけれども、ね、朝参りでも一つ(?)人にはそんなことはないでしょうけれども、やはり、さあ結婚すりゃ良か日ば選ばにゃならん、家建つならやっぱ一遍な家相ば見てもらわにゃのといったような、もう天地に対するご無礼になることを、平気で教えられておりながら、しておるようなことがあるということ、ね、また次に私の、書かせて頂いた、金光様のお詩を、ね、読んでみましょう、そういう一切を有り難く受けさせて頂くことのためにはこのような、なら信心が修行がある、もう実に信心の修行と言うか、信心の稽古というのは、楽しいものだと私は思うです、また楽しいというところまで行かなければ、嘘だと思う、「わがままは、我自らを、他をもまた、傷つくのものと、強いて思うに」と、「我が事と為して実意を込めて尽くす、ことの厳しさ逃れているか」と、ね、例えば、え~、自分がわがままであるということは、人にも大抵迷惑をかけることだと、知っておるけれども、なかなか、わがままをしておる自分に(?)のです、ね、自分の事と思うてです、例え人の事でも、実意を込めて尽くすという、この厳しさ、そのことを厳しいこととしておられるようにです、ね、本当にそうでしょうが、ね、御用とは仕事に仕えることだと教えられておるでしょうが皆さん、ね、御用、百姓をしておる人が百姓をしておるということは、その事に仕えておる、奉仕しておる、そういう心で奉仕しなければならないのに、「あいっこれは作ら幾ら方なるけん」っていったような、またはその事のわずらわしさに不平不足を言うたりして、仕事に言わば、えぇ、一生懸命しておっても、もう実意を欠いでおるということ、実にそのことは、ね、その事を自分のものにするということ、全てを実意を持ってなすということは、そのように厳しいものだと、その厳しいところを、逃れて楽な方へばっかり走っておるという、意味のお詩だと思うんです。
 「判断に、親まりなしと己一人、決めてもの言いおずっ、に、あらずや」と、もう自分のつがほんなこつと、もうおっ、それを思い込んで、話しておるといったようなね、え~、いわゆる強引さといったようなものがお互いの心の中にあるということ。
 「子らしき、」子供の子ですね、「子らしき子か、親らしき親か、この我はと、省みて思う我がいたらなさ」とあります、ね、自分は例えば、三代金光様というああいうお方を親としておられた、ね、その、お~、その親の子供らしい自分は子供であろうかと反省しておられるわけです、ね、それかといって幾らのお子さんがおあれになります、そのお子さんに対してはです、親らしい親であろうかと、何時も自分を反省しておられます、そういうことを、あのお詩にしておられるわけですね。
 「奉仕することはそのまま、自らの救われ助かることと思うに」(?)ね、奉仕するということは事に仕えるということだ、特に教会での御用なんかは奉仕、もうそれはもう間違いなしに自分が救われることのため、なのだけれども、ね、なかなかそれが奉仕に、奉仕になっていないといったような、のこと。
 「悪しき事、」悪い事ね、「悪しき事、言わじ成さじと思う我、また唆し、うおめく邪心」とあります、ね、もう人に、ね、え~、いや垢離を積ませるようなことは言わんぞ、せんぞと心に決めながらです、また、ね、邪心、よこしまの心が、自分の心を唆そうとしておるという厳しいお詩です、ね、だから今例えば読ませて頂いたような、ん~、風なです、してこれ一つのこういう詩にでもなってくるほどしのです、事になったら、非常に難しいけれども、楽しいということになるのじゃないですか皆さん、これはとても、本気で取り組んでならなけりゃこういう詩は出来やしません、そうでしょうが、それが当たり前のことだったらそれが詩にも句にもなりゃしません、ね、だから本当に全てを有り難い勿体無いで受けていけれるということの、内容にはです、そういう自分に厳しい教えに取り組む楽しさと、例えばなら教主様はお詩を作られることを、もうこれない楽しみになさっておられるわけなんだ、ね、教えに取り組ませて頂いて、そっから間違いなしに答えが出てくる、今秋永先生にお話しをしたり、末永先生に私お話しをした、あぁその事柄に、天の配剤、一分一厘の間違いのない働きがです、自分の有り難いというおかげの受け物には、受けられるんだという、そういう体験をさせて頂きながら、日々難しいけれども、それに取り組んで行くというようなです、おかげを頂かなければ、この65節の心と言うならば、一切を有り難い勿体無いで受けていけ、不平不足はない、ね、使い勝手の良いのが良い家相じゃと、ね、例えばそんなら、第三者から見たら、はぁ(?)なくても使い勝手が悪いと例えば言うような家に住んでおってもです、なら教祖様の場合だったら、それを最高の有り難いものとして、受けられたに違いはないのですから、もうそこに家相もなからなか日柄もないことが分かるでしょう、そういう受け方こそがです、教祖金光大神様の、生きられた、いわゆる生きられ方なのです、だからそれを感習わせて頂くためにです、なら教主様も、このような厳しいところをお通りになりながら、しかも楽しみながらお通りになっておるのですから、信心の稽古をそういう風に、楽しゅうさせて頂かなければいけないということです。
                                   どうぞ。

入力者:誠輝